スペイン? ドミニカ共和国? 彷徨うコロンブスの遺骨 

Ridolfo_Ghirlandaio_Columbus

カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島はコロンブスが1492年に発見した島である。
現在は西側の3分の1がハイチ共和国、東側の3分の2がドミニカ共和国となっている。
1492年当時、コロンブスは部下39人をこの島に残し、新航路とイスパニョーラ島の発見を告げるために一度スペインに帰国。
スペイン王室より島の終身提督の地位を与えられたコロンブスは、1500人の大船団で意気揚々と島に戻ったが・・・。
島に残っているはずの39人の部下は、原住民たちによってすべて殺されていた。

植民地化の失敗責任

コロンブスは島の別の場所に拠点を移して都市建設を始めた。
白人入植者は質素で不便な島での生活の不満を口にし、原住民は当然、いきなりやってきた侵略者に憤っていた。
しかし刀という武器を持っているスペイン軍は強い。
原住民に金を発掘して差し出すように命じて強奪、殺戮を繰り返す日々。
やがてスペインからの査察が入り、コロンブスはスペインに強制送還される。
植民地化の失敗責任によりコロンブスは終身提督の地位を剥奪された。

死後も航海

それでも懲りずにイスパニョーラ島を何度も訪れるコロンブスだったが、4度目の航海のあとに病死する。
コロンブスの遺体はまず、亡くなった地であるバリャドリッドに葬られた。
次にセビリアの修道院に納められた。
3番目はコロンブスの遺言に従ってサントドミンゴ(ドミニカ共和国の首都)大聖堂へ。
4番目はフランスとスペインの間に「仏西戦争」が起こり、フランスが勝利。サントドミンゴ大聖堂が立つ場所をフランスに割譲することになったため、スペイン領であるキューバの大聖堂へ移された。
そして1898年にアメリカとスペインの間に「米西戦争」が勃発したことから、コロンブスの遺骨はさらに彷徨うことになる。

遺骨は今どこに

「米西戦争」でスペインは敗北。
アメリカがキューバの管理権を得たことから、キューバの大聖堂にあるコロンブスの遺骨をスペインに「移送した」はずだった。
すると3番目に遺骨を所有していたドミニカ共和国が「ちょっと待った!!」。
キューバに渡した遺骨はコロンブスの息子のもので、遺骨はずっとイスパニョーラ島にあると主張したのだ。
1992年、ドミニカ共和国ではコロンブス記念灯台を建設、遺骨を移したとしている。
一時はスペインがDNA鑑定や調査団を送り込むなどして真相解明に躍起になっていたが、
ドミニカ共和国は協力に消極的。
言わずもがな、現在もなお、スペイン、ドミニカ共和国、どちらに本人の遺骨があるかは不明のままである。
両国ともにコロンブスとて貴重な観光資源というわけだ。

ReXg

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