1986年、デンマークのコペンハーゲンで、海に漂う日本女性のバラバラの遺体が発見された。
女性は22歳で当時無職。
デンマークへ渡航していたのは単なる海外旅行ではなく、4ヶ月にも及ぶ「ピル治験ツアー」に治験者として参加するためだった。
そもそもピルって何?
ピルとは女性が飲む経口避妊薬。
日本ではすでに1970年にはピル(経口避妊薬)が処方されており、急速に普及した時代もあった。だが、日本政府はピルを避妊薬として処方することを良しとせず、回収措置などをとったため、ピルは実質、「封印された避妊薬」でもあった。
事件が起こった1986年、ピルは世界の国々ではポピュラーな薬であり、数年後には日本でも販売が再開するであろうという目論みから、国内外の製薬会社が新薬の開発に力を入れているころだった。
ピル治験ツアーとは?
そうした時代背景から、西ドイツ(当時)のフライブルグに本社を置く臨床薬理試験会社も日本で販売するピルを開発していた。
もちろん日本女性向けの薬であるから、製薬会社は日本女性の体で治験を行いたい。
そこで募集したのが西ドイツのフライブルグで4ヶ月間、ピルを服用して体内データをとらせてくれる日本女性だった。
これが「ピル治験ツアー」である。
往復航空運賃、滞在費用はすべて試験会社が持ち、日当は1日1万円。
さらにドイツ語学校に無料で通えるというおまけもついていたという。
日本人女性5名がこの治験ツアーに参加した。
デンマークのコペンハーゲンの海に女性のバラバラ遺体が・・・
日本人女性5名は西ドイツで4ヶ月間の治験を終了し、フライブルグで別れた。
そして、被害者女性は1人でイタリア、フランス、オランダなどヨーロッパなど旅を続けていたらしい。
「コペンハーゲン経由で南ヨーロッパに旅行をする」
そう書いた手紙が実家に届き、それ以降の消息が途絶えていた。
そして、コペンハーゲンの海で身元不明の女性のバラバラ死体が発見された。
デンマーク警察はインターポール(国際刑事警察機構)を通じて、遺体の歯形などの特徴を世界各国に手配、当の日本人女性の遺体であることが判明した。
「治験ツアー体験者」のバラバラ死体はまだあった!!
日本女性の遺体はデンマークのコペンハーゲンで発見されたが、
1982年と1985年、西ドイツのフライブルグで状況が酷似している2つの事件が起きていたことを西ドイツ警察が発表した。酷似点とは、
「同じ試験会社の治験ツアーを体験していること」
「身元不明の若い外国人女性」
「死体はバラバラ」
発見場所がフライブルグということもあり、酷似点はかなりピンポイントをついたものだったが、試験会社は日本女性をのぞく「国籍不詳の若い外国人女性」2名については治験ツアーに参加していないと発表している。
西ドイツ警察の発表と大きく食い違いを見せたまま、事件はいまだ解明されていない。
「ジャパゆきさん」ならぬ「薬ゆきさん」
日本に出稼ぎにくるアジアの女性たちを「ジャパゆきさん」と呼ぶようになって久しい。
1983年には流行語大賞にもなった。
このバラバラ事件は1986年。
日当1万円という高額な報酬、アゴ足つき、語学留学の側面も併せ持つこの「治験ツアー」。
当時、この事件は「薬ゆきさん」と呼ばれた。
若者よ、うまい話には気をつけよ。。。