日本の犯罪史上最大 30人を惨殺 「津山事件」の背景

しんぶん

1938年(昭和13年)、岡山県苫田郡西加茂村(現・岡山県津山市)で起きた大量殺人事件。
通称「津山30人殺し」。
犯人は都井睦夫(21歳)。
死者30人、本人は犯行後に自殺するという、小さな村で起きた悲惨極まる事件であった。
映画「八つ墓村」の冒頭部分に登場するエピソードのモデルとなった(ストーリー自体は別)。
犯人は犯行直後に自殺したため、殺害動機、当時の村の社会背景は明白ではないが、30人が亡くなった、この真実だけは揺るがない。

事件の背景

幼いころに両親を亡くした都井は祖母と姉と3人で暮らしていた。
都井は1年遅れで就学した。成績は優秀であったが、祖母一人が農業で支える家計は苦しく、尋常高等小学校を卒業後、進学は叶わなかった。
実業補習学校(働く青少年のための教育機関)に入学したものの、家業の農業もせず、通学もせず、自作の小説を村の子供たちに読み聞かせするようになった。

夜ばいの風習

当時、少しの間だけ肋膜炎を患った都井は、病気を理由に家業の農業をしなかった。
最初は「賢い青年なのに気の毒」という視線が主婦たちから集まっていた。
徴兵制により村に残っている男性は少なく、なにより「夜ばい」の風習がこの村にはあった。
若く賢い青年・都井は、次第に複数の主婦たちと関係を持つようになったという。

徴兵検査、そして拒絶

20歳になると徴兵検査が義務であった当時の日本。
都井睦夫は結核のため丙種。戦力外通告を受けた。
「甲種、乙種の男は偉い」という風潮の中、働きもせず、丙種の都井は、関係を持った主婦たちに軽んじられるようになり、関係も拒まれるようになっていった。

犯行準備、のち決行

都井は狩猟免許を取得し、射撃訓練をした。
そして、銃や刀の購入資金にあてるためか、自宅や土地を担保にして借金をした。
犯行当日。
夕方に送電線を切断して村を停電させたのち、深夜に決行。
懐中電灯2本を顔の両脇に角のようにして巻きつけ、詰め襟の学生服を着た都井は最初に自分の祖母の首を斧で落とした。
そして次々と村の家を襲撃し、猟銃と日本刀で凶行を続け、結果的に30名の死者が出た。
無差別殺人と言いたいところだが、なかには「自分の悪口を言わなかったから」という理由で手をかけられなかった住民もいた。

自殺と遺書

犯行後、都井は近くの山に入り猟銃で自殺した。
遺書には結核への差別や、かつて関係を持った女性が村に帰省している夜に犯行を行ったことなどが書かれていた。
最後の言葉は
「もはや夜明けも近づいた、死にましょう」。

ReXg

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>