時は18世紀のヨーロッパ。
フランス社交界で活躍したサン・ジェルマン伯爵という人物がいた。彼はフランス語、ドイツ語、英語、スペイン語、中国語、アラビア語など10カ国以上の言葉を話し、常に宝石をちりばめた衣装を常に身にまとっていた。
「ダイヤモンドは自分で作った」と語り、博識でどの分野にも精通している。
つかみどころがない謎の紳士・・・そんなところか。
何より人々が不思議だったのは何10年たっても容姿が変わらないことだった。
60代後半の人物が30代に見える!?
文献によるとスペイン王カルロス2世の妃マリー=アンヌ・ド・ヌーブルと、貴族メルガル伯爵との間に生まれたとされているが定かではなく、生まれた年も諸説ある。
ロンドンでは作曲やバイオリニストなど、音楽家として過ごしていたという。
彼の存在が注目を浴びるのは1758年以降、ルイ15世の時代のフランス社交界であった。
この時すでに60代後半だったのではないかと言われているが、風貌は40代か、それより若く見えたという。
存在自体が「謎」のサン・ジェルマン
サン・ジェルマンは当時無人となっていたシャンボール城を化学実験のために借り受け、次第にルイ15世と昵懇の仲になっていく。
化学、音楽、東洋世界、美術、練金術、流暢に話す多数の語学など、どの分野にも詳しいサン・ジェルマンは、ルイ15世の寵愛を受けた。
(ルイ15世は財政難だったフランス王室をサン・ジェルマンの錬金術で建て直そうと画策していたという説もある)
サン・ジェルマンに嫉妬をしたルイ15世の重臣ショワズール公爵は道化師を雇い、サン・ジェルマンを装わせて「イエス・キリストと話をした」「アレクサンダー大王」「十字軍に参加した」と大ボラを吹かせて信用を失墜させようとしたが、年齢不詳、博学、宝石をちりばめた衣装など、存在自体が「謎」のサン・ジェルマンにさらに箔を付けた結果となる。
40年たっても同じ年齢に見える!?
サン・ジェルマンについての伝説は数多いが、有名なのが食べ物。丸薬、パン、麦しか口にしないという説と、薬しか飲まないという説がある。
化学に精通していたことから、長寿の薬を開発して服用し、何千年も生きているため、豊富な知識と記憶があるという。
実際、自分でも「私は不老不死なので、薬以外は口にしない」と名言しており、食事をしている姿は誰も見たことがなかったという。
パリを去ったあとに、プロイセンのフリードリヒ2世のもとに身を寄せていた時期がある。
フリードリヒ2世はサン・ジェルマンのことを「死ぬことができない人間」と書き記している。どこまでが真実で、どこまでが創作なのかは計り知れないが、サン・ジェルマンについて語られることで共通するのが「いつ見ても同じ年齢」であることだ。ある人は「10年後に会った時も、20年後に会った時もいつも同じ年齢に見えた」と語り、またある人は「40年前に会った時と同じ年齢に見えた」と語った。
死後、サン・ジェルマンから届いた手紙
1784年2月27日。サン・ジェルマンの墓碑に刻まれている日付だ。
彼は不老不死ではなかった。
時を経て、フランスはルイ16世の時代になっていた。
マリー・アントワネットの豪遊に国民が怒りを募らせ、フランス革命が激化するころである。
そんな中、マリー・アントワネットにルイ16世の退位を促す手紙が届いた。
差出人はサン・ジェルマン伯爵。
死後、5年ぐらいたっていたという。。。