縄文文化と古代楼蘭、楼蘭の住民はアジア系ではなくヨーロッパ系だった!

縄文文化が技術的、精神的にも優れた文化であることは忘れられがちな事です。
石川県能登半島にある真脇遺跡には、直径1mにもなる木を縦半分に裂いて半円状にしたものを、10本並べ直径7、8mのサークルが作られています。
この遺跡は昭和57・58年の発掘調査されました。それにより縄文時代の前期初頭(約6000年前)から晩期終末(約2300年前)までの約4000年の間繁栄を続けた、他に例のない長期定住遺跡であることが判明しています。
ここには縄文土器と数百頭のイルカの骨、能面によく似た土面が発見されています。
ウッドサークルとも呼ばれるこの柱たちの様相から、同時期に栄えていたであろう楼蘭の地を思い浮かべます。

さまよえる湖と呼ばれるロプノール。その北西にある小河(しょうが)墓地は楕円形の砂丘状をしています。その形成にロプノール湖による風積作用も関係しているようです。
その丘のうえに140本もの木柱が森林のように密集して立っているのです。高いものでは4mにもなります。
発掘が進むにつれ、単純な柱群ではなく、牛の頭部を懸けたものなど祭祀活動の痕跡もわかっていきます。
そして、柱の根元から木棺が出土。むしろ、柱を墓標のように立てていたのです。確認できただけでも30基ありました。推測ですが全体で150基はあると考えられています。
奇妙なことに埋葬されている死者の性別で柱の形が微妙に違っています。男性は船の櫂に似た形、櫂の面にあたる部分は黒、柄の部分は赤に彩られています。女性は上が太く下が細くなる形状で、上部が赤く塗られていました。
小河の住民たちは、柱は男性器、櫂は女性器を表し、木棺の中にも性別を表すものが埋葬されていたそうです。
これらは生殖崇拝=生命の繁栄に対する理念を表していて、アシやマオウ、羊骨や赤く塗られた牛の頭骨が捧げられていたのです。

当時楼蘭の住民はアジア系ではなくヨーロッパ系だったそうです。大陸を横断し日本にたどり着いたと、我々の先祖との繋がりがあると考えてみるのも面白いですね。

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