死ぬまでお大師様とお遍路を

四国霊場を巡る巡礼はその他の巡礼と区別され「遍路」と呼ばれています。山深い寺院もありますが、ほぼ海沿いを一巡するように設定されています。
弘法大師信仰の一端で、縁起や霊験譚も多いのはよく知られています。被る菅笠には「同行二人」と書かれ、弘法大師に守護され共に同じ道を行く、という意味が込められています。
そして遍路の持つ杖は、弘法大師が各地で湧かせたという泉を打ち出した奇跡の杖であり、弘法大師本人を象徴し、最期には卒塔婆の役割をするものなのです。

遍路が死を意識するのは、四国遍路の始まりにあるようです。
遍路を始めたのは衛門三郎だと言われています。
彼は元は豪農でした。屋敷に托鉢に来た弘法大師を8度も追い返し、挙句にその鉢を割ってしまったのです。その後、三郎の8人いた子供は次々と亡くなり、妻にも先立たれ、三郎は遍路の旅に出て弘法大師に会おうとするのです。高野山へは行かなかったのですね。
20回巡礼しても願い叶わず、逆の順路で巡る途中に病に倒れてしまいます。最後は弘法大師にあえ、彼の力により生まれ変わります。

もう一つは「捨往来手形(すておうらいてがた)」の存在です。
これは故郷の役所が遍路のために発行した身分証明書です。普通、身分証明書は憂いなくスムーズに関所などが通れるようにあるものですが、この手形は遍路が行き倒れた場合、故郷に通知しなくて良いという旨を記したオフィシャルなものだったのです。
行き倒れた場合、郷里からは捨てられ、無縁仏となる他なかったのです。その為、死装束である白衣(肌着も全て白)を纏うのでしょう。昔は遍路に出る前に家財一切を整理し出たとも言われます。
昔は衛門三郎のように何度も巡り、途中で死を迎える事も覚悟していたのでしょう。それほど過酷だったのです。
今は世が違うと言えばそれまで。しかし多くの人が深く信仰していたという証なのでしょう。

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