長い間、神話の中だけの存在だと言われてきた「夏(か)」の実在(正確には、のちに夏と呼ばれる殷より前の王政の存在。ややこしい)を示す発見があり、関係者は色めき立ちました。
歴史的な発見に沸いた事は勿論、もう一つの大きな要因は中華思想の存在にあります。
漢民族が宇宙の中心であり、文化や思想は神聖なものである、という自民族中心主義の思想です。
自分たちの土地から離れた辺境では、人間性が薄く秩序も理性もないだ、という考えがあり周りを東夷(貉)・西戎(羊)・南蛮(虫)・北狄(犬)と呼びまし た(時代が変われば、軽蔑の意味では使われないこともあった)。漢民族が他民族に襲われないよう団結するために必要な思想だったといえます。
では「華」とは?
元は華夏(かか)と呼ばれており、文化の開けた大きな国を意味する言葉でした。華は、立派・盛んな、夏も大きい・盛んという意味をもち、昔は「中夏」とも言っていました。
世界の中心の我らが一番。この思想を逆手にとって統治をしたのが秦の始皇帝だと言われています。
秦があったのは、控えめに表現するなら西寄りでした。そこで「我々がいるところなら、どこでも中心である」という理論にすり替えます。これにより、中華の輪に入ろうとしたのでした。
清朝打倒の時代にもこの思想に火を付け、一致団結を図ります。自分の民族が肯定されることは爆発的なエネルギーを持つのです。このため夏の発見で一部が沸いたのでした。
この頃すでに日本に移り住んでいた人々はいた筈。縄文後期に当たるでしょうか。約3000年程前に大陸と交流していたと見られる出土品があります。日本はどんな影響を受けていたのでしょう…。想いを馳せるとわくわくしてきますね!
ええと、夏が存在したのが紀元前1700年位だとすると、「中国3700年位の歴史」?あれ?4000年…。