熊本県玉名郡菊水町に古代遺跡、トンカラリンがあります。
全長464.6メートルにも及ぶ地下トンネルですが、いつ頃、誰が何のために作ったものは不明です。
この近くには船山・穴観音古墳がなどありますが、トンカラリンに関する伝説や記録は地元にも一切ない、とされています。
ならば古代からあったのか、又は近年、防空壕や治水施設(排水路など)、抜穴(近くに鶯原城があった)として作られたか、など幾つかの説が立ちます。
まず、現在では治水施設の可能性は低いとされています。
トンネルの外に「タンタン落とし」と言う水が流れ出るところもあります。が、これは近隣の生活排水。元々は石組みの樋から清水が流れていたといいます。
そして、トンネル内部は直線より、曲線の方が多い作りなのです。水を流すには狭いところがあり流れをせき止めてしまうし、ダムの役割をする場所もなく、治水施設として工事をしたのなら、採算が合わないのです。
次は防空壕など軍事目的。
実はこのトンカラリンの一番狭い所は、成人だと屈んでやっと通れるかどうかと言うほどで、緊急時の利用は考慮されていなかった様子。
ダム同様、何かを貯めておく空間も設けられてはいません(隠し部屋が見つかれば別ですが)。
ここで内部へ入ってみましょう。奥へ行く程狭くなる構造は体内潜りを、地下に入る構造は黄泉の国を連想させます。
ここで大切になってくるのは方位です。古代に作られたと仮定して考えてみると、二千年以上昔は世界共通で太陽を暦と方角の目印にしていました。
特に人類の永遠のテーマ、死に関する儀式を行う建造物では、死者再生に関する穴(南向きの太陽光(死を司る冬の太陽光=春の到来)が差し込むのを「死者が復活する兆し」としていた)を南向きに作っていました。
そして、トンカラリンの入り口は冬の光が注ぐよう、南向きに作られていたのです。
入り口から南北方向に500メートル進み、そこから東西を通るように階段が7段あり、そこから先は狭いトンネルになっています。そこを200メートルほど行くと開けた地表へ。
すぐ目の前に菅原神社があり、その鳥居からカムロなる山(磐座山219m)が南東方面に見えます。これは冬至の日の出の方角です!神=太陽が山の上に出るからカムロ山!
ここで、一番有名とも言える、松本清張氏の説を少しだけのぞき、そこからヒントをもらいます。
この手の穴を掘り、潜り抜ける儀式は朝鮮半島の古い儀式にあったといいます。穴には鬼神が棲んでいて巫女がお迎えをする。すると豊作が約束されたり、疫病が退治されたりする。これを鬼道と呼ぶのです。
古代の日本で鬼道に仕えていた巫女は、かの有名な卑弥呼なのです。そして数ある神話の中には、卑弥呼の事だと言われているアマテラスオオミカミが天の岩戸と呼ばれる岩の扉をかたく閉ざし、トンネルに隠れてしまう話があります。
このトンカラリンが、アマテラス(太陽)が岩戸を開け、地上にあらわれる(=生命が命を取り戻した)話の舞台なら、岩戸を開ける切っ掛けを作った女神アメノウズメがいるはずです。
そう、近くにいたのです!その女神にあたる様な、日置部(ひきべ)と言う氏族が。この部族は太陽の送り迎え(朝日を迎え、夕日を送る)を主な生業としていました。
トンカラリンの入り口には石舞台があり、ここでアマノウズメがストリップをしてアマテラスを引っ張り出したとするのは、想像力たくましいでしょうか。
語り足りない部分もありますが、古代の世界に想いを馳せるのは今日はここまでとします。